初め、カーナビの道案内に反して、反対方向への案内板が出てたので、そっちに従ったのだが、新・旧の二城が500m位間を置いて有ったことがやがて判る。案内板に従った先は、墓地…。隣接した高台の奥手には小西行長の像が立っている。この地は、キリシタン大名が築城した新しい方だ。
改めて中世宇土城へ。こちらの方が明らかに広大で、高所だ。案内板を見ると、発掘等の遺跡調査のより、廃城の経緯までは定かでないが、埋められた堀が見つかり、もともと城にあった宝塔や墓石が見つかったらしい。なんでも、これらを使って堀を埋めるというのは「懲罰」の意味合いが強いらしく、小西行長が、佐々成政あるいは「神仏」に対して何らかの意思をもって、廃城したのだと思う。
ただ、時代は流れ、キリシタン大名の城跡は墓地の一角と化し、そして、その墓地の墓石は、地震の影響で一部、倒れたまま放置されている…。