観音寺城


近くまで来ても、安土城一色である。少ない観音正寺への道路標示に従って進むと、繖山(きぬがさやま)のデカイこと。麓からは登ってる時間と体力が無いので、ネットでの事前調査の通り、林道の入り口を目指すと、協力金の徴収所兼ゲートが見つかる。看板に二輪車の料金は書いてないが、尋ねると300円との事(クルマは500円)。時は金なり…。数キロの短い山道(舗装路)を走ると10台くらいの駐車スペースとキツイ石段。汗が滲んでくる位(約10分)格闘すると観音正寺にたどり着くが、なぜかトラックと車が数台…。どうゆうことだ! 別ルートが有るじゃないか(ダート道だけど)。まあ良い。さて、今回の目的とはズレるので、さっと手を合わせただけで、左手の城址へ向かってしまったのだが、観音正寺には超然とした佇まいを感じた。ぜひ(安土城址へでも行くなら)立ち寄って頂きたい。一方、竹やぶ&雑木林の中を進むと、苔むした石段が現れ、少し登るとあっさり本丸跡と記された場所に着いてしまう。が、周囲は石積みの他に高さの有るピークが存在する。ここまでが物足りなかったので、斜面を強引に登ってみると、明らかに平坦化された所に、まだ若い杉が生えている。どうも、本格的には調査がされてないんじゃないかなぁ。道路案内も含めて、これだけの規模の山城なのに、まったく日が当たらないのは、信長と六角氏のネームの差なんだろうな。こうやって埋もれたままの山城が有ってもイイと思う。でも、何で信長は繖山(観音寺城)を棄てて、低い安土山に城を建て直したのだろう?

Posted by maasaki

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