月山富田城址

尼子氏は毛利氏の影に隠れて、なんだか地味な印象だが、実際は実力伯仲で、中国地方盟主の座は「どちらに転んでも」な状況だったはずだ。そんな尼子氏の居城跡に登る。涼しい朝のうちを選んで、麓の道の駅から歩き始めるが、アスファルトの道が続いてるので、ズルしてバイクに跨るが、500m程しか短縮できなかった…。さて、歩き始めて暫くすると、急坂「七曲り」が行く手に立ちはだかる。ゆっくり歩くので問題は無いが、回りの草むらが今回の旅で毎度の「蛇」遭遇危険度が高そうで、ゆっくり休んでるのも憚られる。坂を上りきると「三の丸」の案内表示と「二の丸」の石垣が有るが、それを右から迂回して堀切を眺めつつ「本丸」へ向かう。広い平坦部には案内板と奥手に神社があった。こうしてみると、規模と高さが十分で、実際の戦歴でも一度は毛利勢の攻撃を跳ね返してているという。しかし、二度目の攻城戦では兵糧攻めをくらい落城している。本丸跡から周辺を眺めると、平地が少ない。無理に開墾を推し進めなかったことが、現在の山陰の風景を残しているとも言えるのだが…。

Posted by maasaki

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