吉田郡山城

久しぶりの城址訪問?(ホントは…) 「三本の矢」がフィクションだった毛利氏の居城を訪ねる。平日の夕刻、山頂の一の丸を目指す酔狂な輩は他にいない。駐車場から尾根伝いのコースで一の丸へ向かうと、途中、毛利元就の墓が有る。ココに元就が埋葬されているのか定かではないが、死後、関が原で西軍の総大将に担がれた孫の毛利輝元が、減封により萩に追いやられ、取り残された心情はどんなモノか? 一方で三男隆景に世継ぎが無かったために、関が原のキーマン、小早川秀秋が小早川家の家督を継いだというのも、ナニか因縁めいたものを感じる。 墓の左手からさらに登ること10分程度、開けた三の丸(御蔵屋敷)に辿り着く。上部二の丸に渡って石が散乱している。多分石垣に使われていたと思われるが、白々しい復興天守閣より、こういう景観に筆者はロマンを感じる。最上部の一の丸櫓後には、余計な石碑とかも無く、心地よい風が吹いていた。眺望は無いが遠くに中高生の部活動の掛け声が聞こえてくる。




Posted by maasaki

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