九戸城址

ハナシがややこしくなるのを承知で書くと、現在の二戸市に存在している。ついでに、「福岡城」と呼ばれていた時代もあるらしい。歴史的には、秀吉の全国統一の最終過程で悲劇をみた城となっている。早朝、駐車スペースには、相模ナンバーのクルマが止まっており、見学を終えた人が、帰途につく直前だった。駐車場からの見学コースは2本有るようだが、大手門への道が工事中につき、大周りの二の丸搦め手へのコースを歩く。が、結構な距離。つまり広い。まぁ、庶民と御殿様との関係からすれば、安易な階段を作って、本丸直行よりは、より相応しい。搦め手門に着くと一部ビニールシートに覆われ、何かの発掘調査が行われていた。風が吹くと、そばの樫の木からドングリがパラパラ落っこちるのだが、「撮影禁止」の紙が下がっていたので周囲の撮影は遠慮する。二の丸敷地と本丸との間に深い堀が有り、鉄板の橋がかかっている。それを渡ると、広い本丸の敷地で、本丸の有った位置も特定されていた(城域の中心付近)。近くにも堀が有り、石塁が見えるのだが、これは悲劇のあと入城した、蒲生氏によって築かれたとのこと。一通り眺めて、帰りは大手門側から住宅地を通ってクルマに戻る。途中に有った「町内会」の掲示板に三の丸町内会と書かれていて、歴史を感じさせると共に、何処へでも家を建ててしまう、昔の人々に思いをはせる…。



Posted by maasaki

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