岩村城址

現業務の勤務時間が微妙に短く(9:00-16:30)、業後の時間に余裕が有るせいか、「信長の野望・天下創世」なんて古いゲームを、大河の影響も受けて「武田信玄」で始めてしまった…。ヴァーチャルで攻め落とした城を、チト眺めてみようかと関西遠征の帰りに立ち寄ってみる。ツーリングマッブルによると…、早朝の霧に煙る城址が云々と記載されていたのだが、やたら「黄」信号にからまれて、7時すぎに到着。霧には1時間程遅かった(トホホ)。狭い急山道を軽四駆を駆って登っていくと、本丸直下の出丸に難無く到着。お手軽だ。典型的な山城で、周辺の田畑と言うか、平坦な土地は限られていて、大勢力は賄えない。史実も斉藤家と武田家の中間、どっちつかずの地域で、歴史の表舞台に出ることは無かったらしい。それでも史跡としては後世に残り、早朝にもかかわらず、筆者の他に二組もこの地を訪れているのは事実。存在価値は十二分だ。ただ、本丸跡の案内板に有った「山城の中で最も高地に有り…」は高梁の備中松山城が同じコト主張してた記憶が有るので、少し微妙だ。




Posted by maasaki

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