戦国時代

人吉城址

デカい!
相良氏を完全ナメていた…。駐車場から眺めた平らなとこが広い一の丸かと思ってたら、実は広大な三の丸跡で、更に奥まったところに二の丸と一の丸跡は存在した。三の丸跡で西側を見ると、堀の内側、過去に武家屋敷が有った場所に、熊本地震で立ち入り禁止となった人吉市役所が立っている位、敷地は広大だ。帰路、球磨川側に降ってくると、御下門跡の立派なこと…。攻城時、この門を突き破っても、その後周囲上部から矢や鉄砲をくらってお陀仏間違いなしだ。この城址規模、筆者がこれまで訪れた城跡の中でも最大だと思う。



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肝付(高山)城址

道中の無人販売所に柑橘系の袋を発見! 止まって売り物を確認すると「ポンカン」がある。しかも10個くらい入ってて¥100ときた。都内某スーパーで4個¥298とかで売ってるのを考えるとボランティア状態?。有りがたく、フタの外れた(笑)料金箱に代金を投下する。
さて、今回の城に関して筆者の「偏った」知識では、島津日新斎の嫁の出身地で婚姻関係が有ったため、、日新斎が死ぬまで攻め込めない、肝付氏の城(某ゲーム)でしかない。その程度なので、場所だけ検索して、大した期待も無くやって来たが、結構高い。息を切らせつつ登っていくと「空堀」の見事なこと…。20分近くかけて本丸跡にたどり着くと北側は崖。樹木に覆われて下が見えない先には、水の流れる音が聞こえる。帰り、二の丸を見学し、そのまま遊歩道を降りて行くと、元の遊歩道には戻れず、離れた県道沿いに降りてきてしまった(案内板がほとんど無い…)。クルマのところまで歩き、汗ばんだトコロでさっき購入したポンカンを試食。少し青いかとも思ったが、甘くておいしかった。






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飫肥城址

am8:00という時間帯に訪問した割に先客が既に1名…。ただ、この人物、キッチリした性格なのか(?)、各所漏れなく写真に収めているので、筆者はサッサと一の丸を目指す。各所案内板に記載されている「旧本丸跡」。だったら「新本丸」は何処行った…と疑問が湧くのは、まあさきだけか? 実は新本丸跡には小学校が建てられていたのだった。何とも羨ましい立地環境なのだが、当の小学生には何のことかワカランかも…。ダダッ広い旧本丸跡は、一面コケの絨毯がひき詰められていた。歴史的には、島津氏に都於郡城を追われた伊東氏が、秀吉の九州征伐の後、この地にて再起したとの事なので、どちらの遺構と言ってよいのかわからん。



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建部山城址

今回の攻城戦、北陸・山陰の部で最堅牢と思しき山城。既に情報戦(google先生による検索)でも、所在地すら確認できない?ほど、攻略には難儀するモノと…(理由は何れ)。
ウニ丼でスタミナ取得と決意の程を示した道の駅の、左手「奥」に目標は鎮座している。まずは山裾に取り付くべく、駐車場探しから。多少の努力により「小さな」案内板を発見、住宅の裏手にある、2-3台駐車可の空き地にクルマを止めて歩き出す。が、入り口に「不吉」な案内が…、「3km」だと!!。 ハイキングコースと詠われているが、こっちはナメナメで、靴はドライビングシューズ(?)のうえ、手ぶらで飲み物不携帯と来ている。どうして、難関と判っていつつ、自らさらにハードルを上げてしまうのかは不明だ。しかも、道が荒れてるっぽい。遭難したくなかったら止めとくか?? 一瞬過る「弱気」をウニ丼のゲップが打ち消す(笑)。 ここで止めたらココのブログ記事は元より、ウニ丼も掲載できない…。歩き出す。ひたすらゆるい登りを進む。適度に整地されているのは、大正昭和期の日本軍が、頂上の城跡に砲台を造って、そこに軍馬で弾薬とか物資を運んだからだ。しかし、しばらく進むと訪れる人の数が知れているのか、道の半分以上を「シダ」が覆う。夏場ならマムシが怖くて絶対引き返してるけど、この時期は安心。なんとか、45分ほどで遺構を発見が…。レンガが積み上げられたソレは筆者の求めているモノでは無かった。「日本帝国なんとか」に戦国時代以前の城址を保護しようなんて考えは「これっぽっち」も無く、無残に砲台を建設されてしまった事実。そんな中で、筆者の求めている遺構かも? と思われた数少ない建造物として、レンガが積まれた土台が、城壁か何かの石積みに思えるのだが、どうだろうか?
結局、無残な城跡を眺めただけであったが、張りぼての復興天守より数倍良い、歴史のロマンを感じられる場所だ。








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金ヶ崎城址

前のふた城に比べて、知名度は高いと思われる。織田信長が浅井氏の寝返りで京に逃げ戻り、シンガリが秀吉の件だ。早朝城下に取り付くと、立派な神社が…。境内と本殿?の横を通って、いざ! と気合入れるまでも無く15分位で月見御殿(一の丸)跡。敦賀湾一望の絶景に反して、目に入るのは火力発電所にコンクリート工場。ついでに、この山の真下をトンネルが貫いたりして、俗世と隣接した城跡と言うことで。




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増山城跡

さらに、余勢をかって「ふた城目」によじ登ることに。
富山県砺波市郊外の和田川ダムが目標ポイント。駐車場からダム上を歩いて城下へ取り付く。が、大昔は「谷」だったハズなので、寄せ手の一部は既に崖下へ? よく整備された遊歩道を上ると元大手門と思われる場所に竹柵がしつらえて有る。ここから弓を射かけられて、さらに半数が帰らぬ人と…。程無く上ると一の丸直下へ出て、最後の急坂をよじ登る頃、最後の抵抗を見せる神保氏の将に切り掛けられ、首を取られて最期を迎える(笑)。そこは余計な記念碑とかも無い、殺風景なとこだが、遠く高岡の市街(たぶん)が見えた。





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松倉城跡

「越中三大山城の一つ」だそうな。の、ワリには経路上の案内は乏しく林道を右往左往させられる。かなりの距離を走り、城址の駐車場に着くと、一の丸直下で多少の登りを覚悟すれば脚力は必要なし。南北朝時代の築城で、戦国時代、上杉方に攻められた後、関ヶ原の前には平地の魚津城が築城され、こちらは廃城になったとのコト。山の中なんで「砦」程度のモノと思ってたら、山頂に平らなとこも多く、尾根伝いの別峰には武家屋敷も有ったらしいので「行政」もされてたということか? しかし、誰もいない城址を雪の日に攻略するのも筆者らしい…(笑)。



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吉田郡山城

久しぶりの城址訪問?(ホントは…) 「三本の矢」がフィクションだった毛利氏の居城を訪ねる。平日の夕刻、山頂の一の丸を目指す酔狂な輩は他にいない。駐車場から尾根伝いのコースで一の丸へ向かうと、途中、毛利元就の墓が有る。ココに元就が埋葬されているのか定かではないが、死後、関が原で西軍の総大将に担がれた孫の毛利輝元が、減封により萩に追いやられ、取り残された心情はどんなモノか? 一方で三男隆景に世継ぎが無かったために、関が原のキーマン、小早川秀秋が小早川家の家督を継いだというのも、ナニか因縁めいたものを感じる。 墓の左手からさらに登ること10分程度、開けた三の丸(御蔵屋敷)に辿り着く。上部二の丸に渡って石が散乱している。多分石垣に使われていたと思われるが、白々しい復興天守閣より、こういう景観に筆者はロマンを感じる。最上部の一の丸櫓後には、余計な石碑とかも無く、心地よい風が吹いていた。眺望は無いが遠くに中高生の部活動の掛け声が聞こえてくる。




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